太平洋戦争にて硫黄島の戦いにアメリカ軍が1945年2月19日に上陸して第9日目の2月28日に、西方の要である大阪山と東の要である二段岩の攻防が勃発した。アメリカ軍第2飛行場への侵攻路を射撃する地点に、日本軍の96式軽戦車が潜伏した。日本軍の戦車は、丘の斜面に掘った洞穴に潜伏して静止して、高射砲の機会まで潜伏して隠れた。アメリカ軍は直に潜伏した日本軍戦車に対して、火炎放射器とバズーカ砲を集中して反撃した。日本軍の3両の戦車が崩壊した。その側には殺害された日本軍兵士の死体が散乱した。
2月28日午前から混成した日本軍第二旅団主陣地である西の要である大阪山付近が激戦と化した。アメリカ軍は12時頃に大阪山の山麓に近迫した。午後4時30分頃には、その一部が眼鏡岩付近に侵攻するに至った。第145連隊の第一大隊歩兵を基幹とする守備隊は、大阪山の北側と東側の斜面を確保した。16時45分頃に、日本軍は眼鏡岩に侵攻したアメリカ軍に対して逆襲を強行するも、逆にアメリカ軍の猛烈な砲火に破砕された。アメリカ軍も1日で約300mしか侵攻できなかった。
東の要である二段岩地域は2月25日頃から、西戦車連隊、海軍二段岩砲台軍などが、旅団砲兵団南地区砲兵群や混成第二旅団砲兵隊の砲迫火力の集中と呼応して、戦車を含む約一個師団のアメリカ軍に損害を強要した。2月28日になると、二段岩北側及び二段岩南方屏風山との間隙にアメリカ軍が侵入して、14時頃に二段岩陣地は遂に南北から包囲された。
元山飛行場地域にあった日本軍の戦車第三中隊と戦車第一中隊は、アメリカ軍に突撃を敢行して白兵戦を展開して、アメリカ軍に多大の損害を与えた。アメリカ軍の21連隊I中隊が攻撃して侵攻を始めて、潜伏した地面から現れた日本軍戦車が侵攻を阻んだ。日本軍の戦車はほこりや破片、岩を巻き上げながら侵攻し砲撃した。激しい砲撃により、アメリカ軍の海兵隊はしばらく制圧された。更にアメリカ軍の戦闘機は20m砲で日本軍の戦車を2両を破壊した。日本軍の戦車第26連隊は、2月28日夕までに本地域で、中戦車二、戦車8両が破壊され、戦死傷は約80人に達した。第二次世界大戦にて硫黄島の戦いは、攻撃側のアメリカ軍の犠牲者数(28,686人)が、防御側の日本軍の犠牲者数(21,149人)を上回った唯一の戦いとなった。
No comments:
Post a Comment