イラン・イラク戦争末期の1988年3月16日深夜に、イラク軍の化学兵器の毒ガス攻撃により、イラン国境から約15km離れたイラク国内の人口約8万人のハラブジャ(Halabja)で犠牲者の死体が路上に散乱した。民間人を中心に約5,000人が毒ガス死した。地下室に避難した住民は、リンゴのような異臭を感じ、爆弾の音は静音であった。羊やヤギが道に落ちたり、鳥が木の枝から落ちたりと、不吉な予兆もあった。やがてクルド人は、化学兵器の影響を感じ始め、目を刺すような痛み、抑えきれない嘔吐、震え、混乱した。逃走する住民は、地上に立ちこめるガスの煙と白い粉に巻き込まれた。祖父母も子供も含め、多くの人が体調を崩し、路上で命を落とした。クルド人は、トルコ、シリア、イラン、イラクの4カ国が交わる広大な地域に住む独自の国家を持たない約4000万人の民族であり、国際的ジェノサイドに翻弄された。
ハラブジャでは、マスタードガス、サリン、VX神経ガスの混合ガスが投下され、推定5,000人が殺害された。イラク軍は、ハラブジャを空襲して窓やドアを壊し、人々を地下に閉じ込める前線爆撃の後に、サリンとマスタードなどの致命的な化学兵器が投下された。ガスは空気より重く、窓もドアもないため、地下室や防空壕に無防備に閉じ込められていたのである。イラン・イラク戦争でサダムは、再び反抗を始めたクルド人に対する大量虐殺を行った。1980年代後半に、イラク軍は約5万人から約18万人のクルド人を、化学兵器を多用した恐ろしい手段で殺害した。レーガン政権は、サダムがクルドの市民に神経ガスを使用しても、サダムを支援し続け、イラクに対して軍事援助を送った。
神経剤は極めて致死率が高く、青酸カリの強力な毒物よりもはるかに強い。ピンの頭に乗るほどの量でも2分以内に死に至る。通常、暴露後に約25分以内に死亡する。神経剤は、蒸気の形で吸い込んだり、液体の形で皮膚に触れると死に至ることがある。極端な場合には、痙攣と呼吸不全が起こり死に至る。基本的な神経剤はG系と呼ばれ、サリンやタブンなどがあり、VXのV系より強力である。V系は無臭で無色の液体である。G系は無臭でも、少し果実の匂いや茶色の外観を持った。
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