ベトナム・カンボジア戦争により、1978年4月にベトナム国境のキエンザン省ハティンで、国内に撤退していたベトナム軍がガンボジア(カンプチア)軍兵士を殺害した。死体はジャングルの中に仰向けで横たわり、腐敗して放置されていた。その頃に、国境周辺地域のアンタップ省、アンザン省では、カンボジア軍が約3,000人以上ものベトナム人住民を虐殺していた。
ベトナム戦争が1975年4月に終結して、1976年7月2日に南北ベトナムが統一されてベトナム民主共和国が樹立された。新たにベトナムの巨大化により、ベトナム軍とカンボジア革命軍との国境紛争が頻発した。カンボジアは1975年5月にクメール・ルージュの共産主義政権に占領された。1975年から1977年にかけては、ベトナムとカンボジアの国境における限定的な戦闘であった。カンボジア軍は1977年4月30日からベトナムに向けて大規模な軍事的侵略をして、ベトナム軍は1978年12月16日からカンボジアに報復攻撃しても、反抗的なカンボジアから侵略するも1979年1月6日に撤退した。
ソビエト連邦がベトナムを軍事支援し、中国がカンボジアを軍事支援した。ベトナムの人口約5,000万人、とカンボジアの人口約800万人だけでなく、圧倒的な軍事力の格差があった。クメール・ルージュが約150万人以上ものカンボジア国民を大量虐殺していた。1978年6月からベトナム空軍がカンボジア対して大規模な空襲をした。1978年12月25日から大規模なベトナム軍兵士がカンボジアに侵攻した。ベトナム軍は1979年1月7日に首都プノンペンを占領してから、ベトナムの傀儡政権を樹立した。クメールルージュから生き延びたカンボジア人は、最初はベトナム人を解放者として迎えた。しかし数年後も、ベトナム軍はまだカンボジアに1989年9月まで約10年間も駐屯して、多くのカンボジア人を占領と支配した。
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