関東大震災により朝鮮人が大虐殺されて、東京の墨田川にかかる永代橋の付近に朝鮮人と示唆された水死体が浮いていた。死体が杭に縛りつけられていた。虐殺が大きくなるほど、東京の隅田川や荒川の支流に血染めの水死体が浮かんだ。(2013年8月22日の北東アジア歴史財団が公開した。広島原子爆弾による太田川の死体ではない。爆心地から約2km以内は陸軍の暁部隊により極秘に完全に封鎖された。)
1923年9月1日午前11時59分に、東京を震源地とした関東地域に最大7.5級の超強力な大地震が発生した。ちょうど昼食時に当たり、地震の余波で、直ちに大火災に引火した。東京は約6割から横浜は約8割など関東地域を中心壊滅した。日本気象庁は、死者は約99,331人、行方不明が約43,476人、被災者は約340万にも及び大規模な災害となった。家屋の全壊は、約128,266棟、半壊は約126,233棟、焼失は約447,128棟、流失は約860棟に達した。
災害中に、日本政府の内務省から戒厳令が発令されて、警察署に治安維持を指令した。社会不安が高まり、恐怖で関東地域に噂やデマが飛び交った。そのデマの中に、「朝鮮人が暴動を起こす」「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が略奪した」「朝鮮人が日本人を襲撃した」「朝鮮人が爆弾を仕掛けた」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人の背後は、社会主義者である。」などの根拠もないデマが拡散した。さらに複数の新聞が、在留の朝鮮人に関する過激な敵意を掲載してあおった。日本人団体ら警察組織や自警団にも浸透して、容疑を掛けられた朝鮮人や中国人が虐待と虐殺された。組織された自警団により、約3,689人の朝鮮人が虐殺したと示唆された。竹槍、こん棒、拳銃、刃物などで執行した。警察は、自警団による朝鮮人の虐殺を消極的に対処して傍観してた。韓国併合により、特に日本に移民して来た朝鮮人労働者や留学生が犠牲となった。日本政府は関東大震災を、安全地帯をを求めて、積極的に中国を侵略する口実とした。
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