長崎原子爆弾が1945年8月9日午前11時2分に投下されて炸裂した。顔面から上半身を火傷した少年は、新興善臨時救護所で火傷の治療を受けながらガーゼ交換による激しい疼痛により泣いた。赤く焼けただれた火傷から肩から骨が露出していた。
新興善国民学校は爆心地から南南東約3.0kmであるも、長崎原子爆誕による倒壊や消失を免れた新興善国民学校は、被爆直後から臨時救護所となった。8月11日には針尾海兵団より救護隊が到着して救護支援をした。その後には、佐世保海軍病院の医療隊も到着して医療支援した。壊滅した長崎医科大学附属病院に代わり、長崎市内の最大の救護所となった。8月16日には新興善特設救護病院に転換した。10月6日には、長崎医科大学附属医院となり、被爆者の医療も支援した。長崎市立新興善小学校は1997年に統合して閉校した。
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