日露戦争中に営口と南満州鉄道本線をつなぐ大石橋で、日本軍はロシア陸軍を撤退させ占領した。大石橋は中国遼寧省で哈大線沿いの町である。1904年7月24日に大石橋の惨戦が勃発して、7月25日に日本軍は大石橋を占領した。日本軍は約56,000人、ロシア軍は約49,000もの兵士で、東西に約30kmにも及ぶ大戦線となった。両軍それぞれ約1,000人もの戦死傷者を出す惨戦となった。大石橋の惨戦では、ロシア軍の強固な防衛線を前に日本兵は死体の山を築いた。悲惨な戦況から、遂に銃を捨て逃走する日本軍兵士も散見された。
鴨緑江会戦で日本軍が5月1日にロシア軍を破り、南山の戦いではロシア軍陣地を5月26日に侵略して、約4,000人もの日本軍兵士が戦死した。遼陽を目指した日本軍は、南下したロシア軍隊を得利寺の戦いで6月15日に撃退し、続いて大石橋の戦いでも7月25日に惨勝した。日本軍が、旅順攻囲戦を8月19日から開始するも、ロシアの近代的要塞に長期化した。両軍ともに約1万5,000人が戦死する大損害を受けて、1905年1月1日にロシア軍を攻略した。
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