ベトナム戦争にて、アメリカ軍は1967年4月5日から南ベトナム解放戦線の支配下のビンディン省のアンラオ谷を掃討しながら、住民らを強制避難させた。アメリカ軍の砲撃で、農民の部落は半分以上は消失した。フンニョ部落の露営地から数十メートルの範囲に、解放戦線の兵士の死体が散乱していた。死後数時間で死体には蟻がたかり始めた。
部落を横切る道端に、ベトナム人の10代の若者が頭蓋骨の後部を撃ち抜かれ、脳が地面に散乱して、下向きに倒れていた。故郷の北ベトナムの家族への手紙を所持していた。
「お父さん、お母さん。なつかしいご両親や兄弟姉妹たちとお別れしてから、なんと早く時間の流れたことでしょう。ここは中部のある戦区のジャングルです。ご両親をはじめ、なつかしい家族たちと遠く離れていても、私の心はいつもあなたがたの上にあります。どんなにいとおしく、どんなに案じているかをお察し下さい。思いかえすまでもなく、私はご両親の恩に少しも報いることなく、今日に至りました。ようやく物事がわかるようになり、ご両親の愛情が骨肉で感じられるようになった今は、何千キロも遠く離れているのです。今は何千キロも離れて、親孝行もできません。あなたがたに少しも力になってあげられませんが(空白)」
アメリカ軍は部落を掃討するために、防空壕に手榴弾を投げ込んだ。家財道具を破壊して、コメやさつまいもなど食糧も火を放った。焼け残った農家をライターで草ぶきの屋根を燃え上げた。
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