北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の工作船が、1980年6月21日に韓国(大韓民国)の忠清南道西海岸の大川沖合いに侵入して、韓国軍に撃沈された。1人が逮捕され、北朝鮮の工作員の9人全員は射殺された死体が担架で搬送された。逮捕された北朝鮮の金光賢は、北朝鮮の作戦部に所属して、工作船にて工作員を往復させて、韓国人を拉致していたと証言した。1970年代以前は韓国軍の海岸警備は手薄であったが、1970年代以後は韓国軍の海岸警備は強化された。
北朝鮮は、対南工作(대남공작)にて、韓国に対して行う政治的、軍事的、思想的な工作活動を指令した。金光賢は、1955年から1959年まで北朝鮮の平壌首都保衛軍の伍長をした。紡績工場の作業班から1965年に中央党所属、対南連絡所で南派訓練を受けた。1980年6月まで北朝鮮でスパイ工作員を輸送する任務で、十数回韓国に南派された。数人を送り込んでは連れて帰った。スパイ工作船基地の海州港を出発してから、西海(黄海)まで大型船で行き、小舟の工作船に工作員を乗せる。その後に基地に帰って待機して、約15日後に工作員を迎えに行った。
北朝鮮のスパイ工作船の基地は、東海岸任務は元山、南海岸任務は南浦、西海岸任務は海州にあった。金光賢の西海岸任務した海州には、スパイ工作船の母船である基本船が約6隻、小型工作船が約20〜30隻あり、小型工作船は5トン程度で約10人は乗れた。
金光賢さんは1980年6月18日に海州港を出発した。外形は漁船であるも、高射機関砲を積んだ。西海(黄海)を経て、6月19日夜8時頃に忠清南道の海水浴場である大川の沖に到着した。工作員と約10人が小舟に乗り換えて、韓国の海岸の防備状況の偵察に向かった。6月20日夜に大川の沖から海岸に静かに接近した。北朝鮮の工作員を降ろす地点で、韓国陸軍の歩哨所に発見された。韓国陸軍からの攻撃が始まり、小舟は無抵抗状態であった。砲弾や銃撃が小舟に命中して、瞬時に沈没した。撃沈された時点に工作員は全員9人が殺害された。
金光賢は、大川の沖を必死で泳いで逃げるも、韓国軍機に発見され、韓国軍の艦艇に捕獲された。9人の北朝鮮の工作員は殺害されて、金光賢1人のみが逮捕されて生存した。金光賢さんは、韓国軍に抑留されて1年間は北朝鮮のスパイ・拉致などの取り調べを受けた。その後に韓国社会に向けた更生訓練を受けて社会復帰した。
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