2007年9月16日に、イラクの首都バグダッドの北東約60kmのバクーバで、一家の車が何者かの武装集団による銃撃に巻き込まれた。イラク人母親が、殺害された6歳の息子のディヤ・タマーを嘆き悲しみ慟哭した。母親は、死亡した息子の死体を腕に抱き上げた。ディヤの10歳の兄貴のクサイは攻撃を受けて負傷した。弟のディヤが、小学校1年生になる予定の小学校に、子供たちを入学させた後に、タマー家が戻ってきた帰りに車が銃撃戦に巻き込まれて、タマー兄弟が死傷した。(写真:Adem Hadei/AP Photo via The Atlantic/ Last Touch, Award of Excellence, POYI) イラク人の母親は、子どもを守ろうと思っても、守り切れなかった。イラク戦争では、貧乏なイラク人、末端のイラク人たちがみんな犠牲になった。
イラク戦争が2003年3月20日に開戦後から5月1日に終結宣言後も、イラク人市民の流血は続いた。世界保健機関(WHO)の調査によると、2003年3月から2006年6月までの間に、毎日平均約120人のイラク人が暴力的に殺害された。医学調査研究(NEJM)では、イラク人の半数以上が首都バグダッドで殺害されたと明記され、約15歳から約59歳の男性の死因のトップが、暴力事件であると強調した。2006年に、医学雑誌ランセット(Lancet)に掲載されたアメリカ人医師による調査研究では、イラク戦争と占領によって死亡したイラク人は約65万5千人に上ると推定された。2007年末にアメリカ外交協会(AFSA)が、アメリカ国務省職員約1万1000人のうち約4000人を対象に調査研究を行った。イラク駐在を希望しない外交官の約48%が、アメリカのイラク政策に反対を表明し、それが拒否する理由の一つであると強調した。
同日2007年9月16日に、アメリカ軍はイラクのアンバル州でアルカイダ系の反乱軍に対抗する地元勢力を組織した部族指導者を殺害した容疑者のイラク人らを捕獲したと発表した。同日9月16日にイラク警察は、バグダッド西部のスンニ派が多い地区にて、警備請負業者が発砲して、少なくとも約9人の民間イラク人が殺害され、アメリカ大使館は、国務省の請負業者が発砲事件に巻き込まれたと発表した。警備請負業者は自分たちを守るために武力をエスカレートさせた。同日9月16日には、バグダッド中心部のマンスール地区で、米国務省の車列が正午に攻撃を受けた。車列の近くで爆発があり、車列を警備していた警備業者が街頭で発砲した。9月16日には、イラク全土で54人の死亡または発見された。宗教が混在する町トゥズ・ホーマトで、ブービートラップを仕掛けた自転車が爆発し、少なくとも約5人が死亡、約19人が負傷した。その他、ディヤラ州のバグダッド北東にあるバロール村で武装集団が襲撃し、約14人が死亡、約7人が負傷した。
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