長崎原子爆弾が、1945年8月9日午前11時2分に投下されて爆心地の長崎市松山町171で炸裂した。翌日の8月10日お昼頃に、左手に爆心地から南に約1.1から約1.2kmの長崎市茂里町に、三菱製鋼所第一工場鍛錬工業があった。右端のコンクリート建ての建物は三菱製鋼所第二工業事務所があった。長崎原子爆弾の爆心地から1km付近は瓦礫と焼け野原となり、三菱製鋼所第一工場鍛錬工業は、長崎原子爆弾の爆風と熱線で全焼して破壊され崩壊した。その隣の崩壊した第二工場の鉄骨が、あめのように波打っていた。地下の魚雷工場は比較的無傷で残った。製鉄所の外には死んだ馬が県道に横たわっていた。その背後に、長崎市電の線路が走っていた。
爆心地に近い三菱製鋼株式会社長崎製鋼所では、従業員や養成工、動員学徒、教員など約1,400人が死亡した。鋼板や航空機の部品などを製造していた工場もほぼ壊滅状態となり、機能は全廃して、折れ曲がった鉄骨や機械設備等の残骸だけが残存した。
長崎原子爆弾の炸裂に伴って生じた猛烈で強力な気圧変化は、爆発直後異常な速さで衝撃波となって広がり、物を破壊し、押し潰した。またそれと同時に強い爆風が起こり大被害が発生した。爆心地から約1kmで、最大風速は秒速約160mにも達した。特に熱傷を及ぼしたのは、爆発後の約0.3秒から約3秒までの間の赤外線であった。地上物質の表面温度は、長崎原子爆弾の直下では恐らく約3,000~約4,000度にも達したと推定された。
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