Friday, September 16, 2022

At the center of the photograph is African American Shaw’s bullet-riddled body tied to a tree, the rope barely visible. At least a dozen white men pose by his body, staring at the camera.

木に縛られたアメリカ黒人のリント・ショウ(Lint Shaw)の弾丸だらけの死体があり、首を締めたロープも見える。少なくとも12人の白人男性が、リンチしたショウの死体のそばでポーズをとり、カメラを見つめている。1936年4月10日、42歳の黒人農夫であったショウは、コルベールの道路沿いで18歳の白人女性オラ・フランクリンを強姦で襲ったと告発された。4月28日に白人暴徒がジョージア州ロイストンにある刑務所を襲撃し、ミルショール・クリーク近くの並木道の小川床に、ショウ引きずって殺害した。

 保安官は黒人ショウを逮捕した4月10日に、ジョージア州ダニエルズビルのマディソン郡拘置所に収監した。ショーが刑務所に入って間もなく、約150人の白人暴徒がバールやハンマーを振り回して刑務所に押し入ろうとした。マディソン郡の保安官T・L・ヘンリーは、暴徒を鎮圧できず、ベリー・T・モズレー判事を呼び寄せた。モズレーは、ダニエルズビルにショウを護送する州兵を呼び寄せた。マディソン郡の刑務所への護送中にショーは発砲されて傷を負って、アトランタのグレーディ・メモリアル病院に護送された。

 ショウは病院の療養後から4月27日にマディソン郡の刑務所に連れ戻された。怒った白人暴徒に遭遇した。保安官のヘンリーは、ショウを小さな監獄に移したが、白人暴徒に見つかった。4月28日真夜中ごろ、白人暴徒は黒人ショーを独房から引きずり出し、白人女性を強姦したとするコルベール地域まで約32kmを強制連行した。ショウは裁判を受ける4月28日の約8時間前にリンチで殺害された。白人暴徒はショウを木に吊るし、何度も何度も銃で撃った。ショウの死体はその日の朝、地元の農夫によって発見された。現場には目撃者がいなかったと裁判所文書に記録された。ショウの死体は、家族が怖がって引き取らず、郡に引き渡された。

 1882年から1968年の間に、アメリカでは約4,000件以上のリンチが行われた。NAACPによると、約531人がジョージア州で殺害され、全米で2番目に多い犠牲者であった。ミシシッピ州は約581人で最も多く、テキサス州は約493人で3番目であった。最も多い犯罪は、白人への暴行や殺害、白人女性に対する性犯罪だった。しかし、リンチの約半数は軽微な犯罪、あるいは全くない犯罪であった。人種的恐怖の時代、黒人男性に対する暴行未遂の告発は、単に白人女性を見た、偶然にぶつかった、微笑んだ、ウインクした、近づきすぎた、間違った場所に白人女性と二人きりになったなど軽微な理由でも執行された。南部社会には深い人種的敵意があり、黒人に対する告発、特に白人女性や少女による黒人男性に対する告発は、警察、マスコミ、暴徒によってリンチが頻発していた。


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