1967年4月30日に、南ベトナムのケサン付近の881(海抜881m)高地で、19歳の海軍衛生兵バーノン・ワイク(Vernon Wike)は戦死した海兵隊員に寄り添った。最初に負傷したロックの胸に左手を当てて、次いで胸に耳を当てて心臓の鼓動の停止から死体を検死した。ワイクは、死んだ直後にロックとヘルメットを置き去りにして退避した。ベトナム戦争は、おそらく歴史上最も緊密に撮影された戦争である。倒れた仲間の遺体にひざまずき困惑する海兵隊員であるワイクの写真で、フランス人の女性写真家であるキャサリン・ルロイ(Catherine Leroy)が1967年4月に撮影した。南ベトナムと北ベトナムの国境に近いヒル881での血生臭い戦いを撮影した。2005年、ルロイがワイクに会ったとき、ベトナム戦争から帰還して、重荷を背負っていた。4回結婚して、口もきかない2人の娘がいて、1カ月325ドルの年金で細々と暮らた。58歳のワイクは、肉体的な傷はないが、極度の心的外傷後ストレス症候群に苦しみ、毎晩のように悪夢にうなされた。腕には死んだ仲間の名前の刺青がある。
ワイクにとって、戦時中にリロイが撮った写真と、その呪われた記憶は、心理的なスパイラルとして絡み合っていた。1967年春の「ヒルファイト」は、海兵隊の前哨基地ケ・サーン付近で海兵隊と北ベトナム軍との間で行われた戦闘である。リロイは、補給ヘリで戦闘服に身を包み、髪に白いハンカチをかぶって戦場に到着した。爆撃された地形を通って突撃する海兵隊中隊について行き始めた。地盤がゆるんで歩きにくくなり、戦闘の音が耳障りになった。砲撃で身動きがとれなくなったとき、約4メートル先に負傷した海兵隊員を見つけた。誰かが 「衛生兵、衛生兵!」と叫んだ。もう一人の海兵隊員が負傷者に駆け寄り、心臓に耳を当てた。衛生兵のワイクは完全に苦悶の表情を浮かべた。ドーンという音がして、塹壕から頭を上げると、プエルトリコ出身のロック(Rock)がいた。ロックの体が落ち始めて、ワイクは身を投げ出した。ロックの心臓の鼓動が少しずつ消えていった。銃弾はロックの胸に当たった。先頭の突撃隊にいたワイクは、死んだ兵士であるロックのライフルを拾って、海兵隊の第二部隊の中に消えた。死んだ直後に仲間とヘルメットを置き去りにして退避した。
1968年、テト攻勢の最中に、リロイは北ベトナム軍に捕獲された。脱出して、北ベトナム軍の戦闘の様子を撮影し、ライフ誌の表紙を飾った。ワイクさんはベトナムから体に傷はなく、悩みを抱えたまま帰国した。2003年、ズボンのポケットに入れた拳銃で誤って自分を撃った。2004年、住んでいた家が全焼した。火災後に小さなアパートに引っ越した。引越しの2日後、脳卒中で倒れ、半身不随となり、視力を失った。中西部の姉妹の家に転がり込んだ。
No comments:
Post a Comment