太平洋戦争におけるマーシャル諸島のクェイジェリン環礁のロイ・ナムル島で、1944年2月2日から上陸したアメリカ軍は2月3日には制圧した。アメリカ軍に全滅した日本軍兵士の死体が塹壕に並んだ。アメリカ軍の海兵隊に殺害されなかった日本軍の守備隊員は、手前の2人の日本軍兵士のように鉄砲で自殺することが多かった。塹壕に追い詰められて、火炎放射器や手榴弾、陣地を破壊する強烈な爆弾や銃弾で殺害された日本軍兵士の死体は、砂に顔をつけて横たわった。身体のそばに黒っぽい血の池がどんどん広がっていた。熱帯の炎天下で腐敗した日本軍兵士の死体は、悪臭を放っていた。
少数の日本軍兵士が椰子の木の丸太に隠れて抵抗するも、火炎放射器と爆薬で粉砕され、2月3日までに全滅した。日本軍兵士は決して降伏しないで、サーベルだけでアメリカ軍の戦車に突撃した。日本軍歩兵が、椰子の枝を身体の前に持って、アメリカ軍の陣地に突入した。全滅した日本軍兵士は約3,500人が戦死して、それ以外の約264人が捕虜となった。アメリカ軍兵士は約190人が戦死して、約547人が戦傷した。
あるアメリカ軍の青年兵士は、諸島の上陸には興奮と不安が入り混じった。確かに死を考えるも、なぜか自分が死ぬとは思えなかった。緊張はしていても、恐怖ではなく興奮であり、スリルがあった。自分が望んだ冒険に向かっていた。大人のカウボーイとインディアンの戦いであり、大人の警官と強盗だった。栄光への想いを胸に抱いて、アメリカ国旗を持って戦場に行き、歴史の一部になる役目であった。エリート中のエリートであるアメリカ軍海兵隊と一緒に戦いに行くために。眠りにつく前に、勇気を出して、家族のために、生きていることを神に祈った。
そのアメリカ軍の青年兵士は、戦場で強い衝撃を受けて、出来事の現実の恐怖に襲われた。海兵隊員に日本軍兵士の居場所を聞こうと這って侵攻しては、かなり狂気のように興奮していた。海兵隊員の横に這い寄ったが、彼は答えなかった。死んだ彼の頭のそばに黒っぽい血の池がどんどん広がっていくを眺めた。戦争とは何であるかを実感し、それは興奮して楽しいものでも刺激的なものでもなく、動くものは何でも殺せと命令された。
1944年初頭に、アメリカ軍は太平洋戦争の初期の1941年頃に日本軍が制圧した地域の再占領に向けて、1942年8月にソロモン諸島のガダルカナルを皮切りに、南西太平洋で1943年11月にギルバート諸島のタラワから中部太平洋までで、アメリカ軍の攻撃して占領した。クェゼリン島の戦いが、太平洋戦争の1944年1月30日に勃発して、日本軍が守るクェゼリン環礁へアメリカ軍が侵攻した。
No comments:
Post a Comment