ベトナム戦争中期の1965年3月30日に、南ベトナムの首都サイゴンにあるアメリカ大使館前で、ベトコンの工作員によるテロ爆発事件が起きた。サイゴンのアメリカ大使館前に駐車していた車の中で爆弾が爆発した。ベトナム人19名、アメリカ人2名、フィリピン人1名が死亡して、183名が負傷した。負傷したベトナム人は路上に倒れて手当を受けた。背後の残骸からは煙が上がった。CIAの速記者バーバラ・A・ロビンスが、最初の殉職したアメリカ人女性となった。ベトナム戦争中に、67人のアメリカ人女性(8人の軍人女性と59人の民間人女性)が戦争で死亡した。
1965年3月30日深夜に、サイゴン川の近くにある5階建てのアメリカ大使館内にあるCIAサイゴン支局の外の路上に、シトロエンの車がボンネットを上げて停まっていた。警察官とシトロエンの運転手と口論を始めていた。運転手は退去を命じられ、拒否すると警官が発砲した。スクーターに乗った別のベトナム人が、運転手のそばにモーターで近づき、警察官に向かって撃ち始めた。数人のCIA職員が、が副支局長室に駆けつけて窓の外を覗いていた。ロビンスは鉛筆を持ち、薄緑色のスカートと黄色のブラウスを着ていた。その数秒後に、ロビンスは即死した。シトロエンに積まれていた約300ポンドのプラスティック爆弾が爆発した。大使館の建物は実質的に破壊された。鉄格子と窓がナイフのようにオフィスに入ってきた。
1965年6月25日にはベトコンによる2回のテロ爆発が勃発した。首都サイゴンの暖かい金曜日の夜、数十人の人々が、サイゴン川の岸辺にある人気の水上レストランマイ・カン・カフェで夕食を楽しんでいた。サイゴンの繁華街の中心にあり、アメリカ大使館の近隣で、ベトナムの民間人やアメリカ軍人、外国の大使や国際ジャーナリストなどが利用していた。午後8時15分頃に、耳をつんざくような爆発音が響き渡り、ダイニングルームに破片が飛び散った。常連客のほとんどは多くの女性や子供を含む民間人であった。恐怖におののく生存者たちが出口に向かった時、2つ目の爆弾が爆発し、川岸に続く桟橋にも爆弾が落ちた。ベトナム戦争中のテロ爆発の中でも最も大きな被害をもたらした。13人のアメリカ軍人を含む約30人以上が死亡し、183人が負傷した。2回目のテロ爆発が、水上レストランの近くの川岸にあったタバコ屋の横で別の爆弾が爆発した。この爆発で少なくともアメリカ人女性1人が死亡した。既に首都サイゴンは戦場であり、テト攻勢の以前から都市戦争は熱を帯びていた。
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