広島原子爆弾によって、胎内被爆した24歳の小草信子さんが、1946年3月7日に誕生した。原子爆弾の炸裂によって、母親の胎内で約2月程度の胎児が、放射能による遺伝子障害を受けた。小頭症は頭囲が著しく小さい。爆心地より近距離からの早期の被曝による小頭症と、1967年9月7日に原爆症に認定された。重度の知的障害を伴って、児童程度の知能に留まって、日常生活活動と社会活動に支障を伴う。重複障害を伴って、先天性奇形により、生後から右足関節の機能全廃の障害を受けた。知的精神障害だけでなく、重度の身体障害も伴っている。24歳の女性であるが、身長は小学生程度の発育にとどまっている。
広島市中局私書箱第119号に、原子爆弾の胎内被爆で原爆小頭症を受けた子供を持つ親達の18人と支援者らがきのこ会を結成している。アメリカが占領期に設置した原爆傷害調査委員会(ABCC)は、1952年には原爆小頭症を伴った16人の障害児を論文発表していた。広島における胎内被爆児の小頭症について調査と研究したABCCは、原爆小頭症を患う子の親には、妊娠中の栄養失調が原因であると説明していた。1957年の原爆医療法の対象から除外されていた。当事者らが広島研究会の調査により、1965年に原爆小頭症の科学的根拠である1952年の学術英語論文を発見した。1965年に、18人の原爆小頭症を患う子と親のきのこ会が結成された。きのこ会の関係者らの社会運動によって、1967年に日本政府は原爆小頭症と原子爆弾の因果関係を認めて、被爆者手帳を交付した。
きのこ会の名称の由来は、「きのこ雲の下で生まれた命。たとえ日陰で暮らしいようとも、落ち葉をおしのけ成長するきのこのようにすくすくと育ってほしい」と親子と支援者の願いであった。原爆小頭症のきのこ会は、被爆者と障害者であることに対する二重の差別に苦悩した。
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