岩手県気仙郡矢作村で、1932年5月4日に多数の朝鮮労働者が日本人労働者に虐待から虐殺された矢作事件が勃発した。国鉄大船渡線の工事現場で、日本人が朝鮮人を襲撃して、約3人が虐殺されて、約22人が傷害された。現在の陸前矢作駅で鉄道建設に従事していた日本人と朝鮮人の作業員の間に乱闘が発生して、朝鮮人の約3人が殺害され多数の犠牲者が出た矢作事件が勃発した。工事の下請け事業者が、その下請け事業者に不当な労働を厳しく要求して過酷な土木作業を強制された。遂に朝鮮人労働者による集団抗議行動が突発した。日本人業者ら約100人が、民族主義的対立を弾圧するために朝鮮人労働者を襲撃した。その内で約81人が検挙されて、1933年1月に盛岡地方裁判所で約53人に懲役2年以下の軽罪の判決で終結した。1925年からの鉄道工事で1934年に大船渡線が全通した。
朝鮮人が、日本により1920年8月29日に韓国併合により統治下となってから、韓国から日本への移民が増大した。土地調査事業により、朝鮮農民は田畑などが日本の国有地になっり、農地を消失して小作人に陥った。小作料や地税の徴収により、難民として日本や満州からシベリアに移住した。日本は第一次世界大戦により景気の高騰による富国挙兵に邁進した。そのために日本に単純労働者の不足と安価な労働力を朝鮮人に求めた。朝鮮人労働者は、日雇土木工から難工事などの低賃金労働に配属された。韓国人の日本への移民は、韓国の3つの南部州(北部と南部の慶尚南道、南部全羅道、チェジュドを含む)の農民であった。十分な教育を受けれず。読書もできず、韓国の労働者は部落や沖縄の人々とともに単純肉体作業を行った。
突如の1929年からの世界恐慌により日本経済が破綻して社会不安が増大した。1930年代から政治的弾圧から帝国主義体制に移行し、1931年に満州事変が勃発して、朝鮮半島は日本の軍事拠点となった。1934年に朝鮮人は土木工事が約3割、職工が約3割、鉱山労働者は約3.5%に配属された。朝鮮人は、低賃金労働の上に、さらに約3割程度の中間搾取されて、最低生活と生存に陥った。1920年から1930年の間に、在日朝鮮人は10倍以上増加し、約419,000人にも達した。
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