アテネ工科大学にて、ギリシア軍の侵攻を受けて重態となった学生を、ギリシア市民が救護して運搬した。ギリシアにてアテネ工科蜂起が、ギリシア軍事政権に対する大規模な学生デモがアテネ工科大学で発生した。蜂起は1973年11月14日に始まり、反軍事的反乱に激化して、11月17日の早朝に軍事政権の戦車が、アテネ工科大学の門を突破して侵攻して、学生の悲惨な流血で終結した。デモに参加した学生と市民の死者は約80人と負傷者数百人、逮捕者が約700人がでる犠牲になった。1973年11月17日午前3時頃に、軍事政権の戦車がアテネ工科大学の鉄門を突破した。アテネの街の明かりは消灯されて、大学の発電機によるキャンパス内の照明のみであった。不明瞭な映像では、戦車が人々がしがみついた大学構内への主要な鉄門を打倒した。無線伝送記録において、建物の周囲の軍事政権の兵士に命令に反して、「兄弟の抗議」と叫び戦わないようにと必死に求める若者の声が聞こえた。感情的な発声に続き、ギリシャ国歌の歌詞を暗唱して、戦車がアテネ工科大学に突入する時点で、送信が停止した。
ギリシアは、1967年4月21日から軍事政権の支配下にあり、市民権を廃止し、政党を解散し、政治的信念に基づく政治家と市民を追放、投獄、拷問した独裁政権となった。アメリカは、軍事独裁政権を擁護・支援した。1968年8月13日に暗殺未遂から、秘密警察によるギリア市民の監視と検閲などによる言論統制を強化、政権に反対する政治家や共産主義者の容疑者を逮捕して拷問して国外追放あるいは孤島に収監した。1970年代に入ってギリシャの国内経済が悪化すると、軍部の独裁政権に対するギリシア市民の不満が増大し、学生による大規模なデモなどの抗議行動が活発化した。アテネ工科大学蜂起に反発したアテネ軍が、1973年11月25日に軍事政権を打倒する反クーデターが勃発して、新たな軍事政権に転換した。ギリシア軍事政権のキプロス政権の打倒が失敗して、1974年7月15日にトルコによるキプロスの侵攻を招いて、軍事政権は破綻した。1974年11月11日の国民投票からギリシアが民生移管してギリシア共和国が成立した。
No comments:
Post a Comment