2018年4月4日に、内戦が継続しているシリアの北西部において、シリア軍は反体制側の拠点に対して大規模な無差別の空襲をして、約400人以上が死亡した。さらに約400人が急性の呼吸困難を訴えた。アメリカ軍はシリアのアサド政権が化学兵器の使用を断定して、4月7日にシリア政府軍の基地にミサイル攻撃をした。国際医療団体が化学兵器の使用を疑って、現地調査をして、4月19日に、シリア軍によるサリン類の毒ガスの使用を公表した。
シリアのアサド政権に、2011年3月にアラブの春が飛び火した。アサド政権は、市民による民主化運動を、軍・治安部隊で厳しく弾圧した。弾圧を受けた民主化運動から、革命闘争が勃発した。2011年9月に武装組織である自由シリア軍が結成された。その結果、シリアの民主化運動は、アサド政権の軍事的な打倒を目指す革命闘争へと変質した。シリアの政権軍の精鋭部隊は、アサド家産化された軍であった。政権が革命の危機に瀕したとき、防衛のために無差別に市民に躊躇なく銃口を向ける私兵部隊と化した。
湾岸諸国は、独裁者であるアサド大統領の退陣を求め、反体制諸派を支持した。過激なイスラム主義者が世界中からシリア国内の反体制諸派に合流した。逆に、ロシアと中国、イランとレバノンは、アサド政権を支持して、シリアが内戦化した。アサド政権と反体制派の荒廃した内戦から、イスラム過激派によるイスラム国が台頭した。イスラム国は、2014年6月にシリア北東部のラッカを首都とする独立を宣言した。国際社会は、次第にイスラム国の打倒するために、シリアのアサド政権を有利な正当化に傾倒した。2014年8月に、アメリカ軍主導の有志連合でイスラム国に軍事介入した。2018年12月19日にアメリカ軍はイスラム国を撃破を宣言して、シリア北部のクルド人地域からの突然の撤退を開始した。トルコ軍は2019年10月9日、シリア北部のクルド人勢力に対する攻撃して、民間人を含む少なくとも約15人が死亡した。
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