2004年8月13日午後2時15分頃に、在日アメリカ軍の海兵隊が操縦したヘリコプターが、沖縄国際大学に墜落した。沖縄国際大学の校内に墜落したヘリコプターの残骸が散乱した。防毒マスクを装着した海兵隊が、8月16日にヘリコプターの残骸を撤去して処理した。ヘリコプターに含まれるストロンチウム90などの放射性物質の飛散は隠蔽されたままで、秘密裏に事故処理された。激突したヘリコプターは炎上して沖縄国際大学の校内に軍事用品や部品が飛び散った。周辺の住宅街にも部品が飛散して、建物を突き破った。搭乗した海兵隊の3人と沖縄国際大学1号館にいた大学職員約20人が負傷した。事故直後から、アメリカ軍が墜落現場を封鎖して、日本人の警察や消防他の関係者を完全に排除した。
アメリカ軍の普天間飛行場を離陸した大型輸送ヘリコプター(CH-53D)の1機が、飛行場に隣接する宜野湾市の沖縄国際大学の本館ビルの北側に激突して大破して、大学構内で爆発して炎上した。教育施設の墜落は、1959年6月3日にうるま市の宮森小学校に戦闘機の墜落に次いで2回目であった。基地外住宅地域でのアメリカ軍機の墜落は、1972年の置くなわの日本本土復帰してから初めてであった。沖縄市町村の中で、面積に対する米軍基地の割合が最も大きいのは嘉手納町で町面積の約83%、宜野湾市は約33%を米軍基地が占めている。普天間飛行場の即時返還と、飛行場の移設先である名護市辺野古での新飛行場の設置に反対する県民運動が高まった。2004年9月12日に事故現場である沖縄国際大学で、約3万人が集合した抗議集会が開催された。沖縄県警は、日米地位協定で捜査が阻まれた。日米地位協定は、日米安全保障条約の目的達成のために我が国に駐留する米軍との円滑な行動を確保するため、米軍による我が国における施設・区域の使用と我が国における米軍の地位について規定したものであり、日米安全保障体制にとって極めて重要なものとしている。
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