朝鮮戦争の多富洞の戦いで、1950年8月13日に多数の北朝鮮軍兵士が殺害されて、戦車が破壊された。その破壊された戦車の側に、殺害された北朝鮮兵士の死体を9月22日に検証した。戦場には腐敗して食いつかされて兵士の死体や牛馬の屍体も散乱していた。
朝鮮戦争は、1950年6月25日午前4時に北鮮軍の砲撃から30分後には約10万の北朝鮮軍兵士が38度線を越えた。北朝鮮軍は韓国軍を圧倒し、6月28日にソウルを占領した。アメリカ軍と国連軍が7月7日から軍事介入するもは敗走を重ねて、8月5日には釜山にまで追い詰められた。釜山の周囲を固めたアメリカ軍と国連軍に対して、多富洞という谷間の村に、北朝鮮は8月13日に集中攻撃した。韓国軍の白師団長の突撃から逆襲して、形勢を挽回して、北朝鮮軍の攻勢を止めた。釜山橋頭堡が破綻を免れて、朝鮮戦争の転機となった。
1950年から1953年まで続いた朝鮮戦争中に、アメリカ軍は北朝鮮の町や都市を爆撃した。さらに農村部の襲撃は農地の洪水と作物の破壊をもたらした。南北を分ける38度線および中国と北朝鮮の国境の間では、すべてのものの上に立っている建物を爆撃した。アメリカ軍は、北朝鮮と中国の国境を越えて、世界初のジェット戦闘による空中戦を集結した。1980年代に空軍は北朝鮮を焼夷弾で襲撃した。北朝鮮のあらゆる町、韓国のいくつもの町も全焼した。アメリカ軍は戦争中に約635,000トンの爆薬を落とし、焼夷弾のナパーム弾を32,557トン投下した。朝鮮戦争により、朝鮮市民の惨めさ、病気、痛み、苦しみ、飢餓は激烈に悪化した。
朝鮮戦争の総死傷者数の想定は、韓国軍は約217,000人、北朝鮮軍は約406,000人、中国軍は約60万人、そしてアメリカ軍は約36,000人である。約300万人以上の朝鮮半島の市民は戦闘で殺害されて、特に国境の両側で大虐殺された。朝鮮半島の戦前の人口の約10%も虐殺された。北朝鮮における死傷者数は人口の約12%から15%であった。3年ほどの間に、韓国の人口の20%が直接の戦争による犠牲者として、あるいは飢餓と被爆により戦死した。北朝鮮の金日成は朝鮮戦争による北朝鮮市民の犠牲を逆用して、「戦争のための我々の準備で最も重要なのは、全国民に米国帝国主義を憎むように教育することだ」と宣告した。
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