ナチス当局は、青少年の反抗集団であるエーデルヴァイス海賊団の首謀者を1944年11月10日に公開絞首刑に処した。ケルンの労働者地区のケルン・エーレンフェルトで、約3,000人のうち中心人物である13人(最年少は16歳)を公開の絞首刑に処した。絞首台が鉄道の堤防に組み立てられたケルンは市内中心部が爆破されて壊滅していた。
エーデルヴァイス海賊団(Edelweißpiraten)は、ナチス・ドイツに発生したドイツ青少年の集団である。幹部を養成するヒトラーユーゲント内の厳しい統制に対抗した青少年が自然発生的にドイツ西部で1930年代末に発生した。主に14歳から18歳の10代の少年で構成された。少年たちは14歳で学校を卒業後にヒトラーユーゲントに入隊し、17歳で国家労働奉仕団に入り、兵役に就く次第になった。
ヒトラーユーゲントは、青少年をナチスの主義主張へ洗脳した。軍国主義化するために、ヒトラーユーゲントが準軍事組織となり、絶対服従の軍事教練が強制され、同年代同士の監視となり、反発的な青年の行動が先鋭化した。1930年代末、ドイツ西部で最初の「エーデルヴァイス海賊団」が発生、その他エッセンで「ファールテンシュテンツェ」、オーバーハウゼン・デュッセルドルフでは「キッテルバッハ海賊団」、ケルンでは「ナバホ」がそれぞれ発生した。共にヒトラーユーゲント部隊を襲撃することで一体感を持っていた。
エーデルヴァイス海賊団は、ナチスへの反抗であり、ヒトラーユーゲントから離脱した。ナチス当局への反感から、主にヒトラーユーゲントや突撃隊員などの個人を襲った。
1942年にデュッセルドルフでは、抵抗組織が海賊団員を勧誘した。ケルンでは1944年、エーデルヴァイス海賊団が地下組織に合流し、脱走兵や戦争捕虜、強制労働者、強制収容所の囚人などの支援を行った。軍の補給所を襲撃するなど、パルチザンまがいの活動を行った。初期はただ単に不服従を旨としていた海賊団の一部は先鋭化し、抵抗組織と化していった。
ナチス当局による取り締まりは複雑さ極めた。ゲシュタポ、ヒトラーユーゲント、警察らの処分は、訓戒、一斉検挙、一時的逮捕、週末禁固、労働収容所・強制収容所への収監、起訴など多岐を極めて、最悪は死刑に繋がった。1944年10月25日に、青少年の徒党撲滅の指令により、ナチス当局は反抗を検挙して押さえ込む事を決定した。
ナチス当局は取り締まる反面、軍需労働者や兵士となる青少年を必要として、全てを処分できなかった。ゲルマン民族至上主義のナチスには、遺伝的に優秀たるドイツ人青少年であった。エーデルヴァイス海賊団自体は、ナチズムを拒否する非行行動が主体として、終戦後も白いバラとは異なり、反体制組織とは依然と評価されていない。
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