アフガニスタンの首都カブールの北東約60kmのタガブの戦闘で、ソ連軍兵士が銃殺された胸に弾痕があった。銃殺されたソ連兵士から武器と武装具は、剥ぎ取られて死体は山岳地帯に放置された。その死体の周りに多数のイスラム聖戦士が取り囲んだ。
アフガニスタンは山岳地帯が延々と続き、ソ連の戦車や装甲車は険しい山岳地帯の侵入は困難となった。ゲリラ訓練を受けたアフガニスタン兵は、劣悪な気候でも動き回り、地形をよく熟知したパルチザン戦で、狭い渓谷の道路を進むソ連軍の機動部隊を山岳地帯から待ち伏せ攻撃した。追撃するソ連軍に対しては、地雷源で立ち往生した部隊を襲撃した。1979年12月からのソ連のアフガニスタン侵攻は、1989年2月25日の撤退までにアフガニスタン戦争に約62万人の兵力を投入し、死亡者数は病死を含めて約1万4500人と戦傷者は約5万人にものぼった。
1989年2月のソ連軍の撤退しても、アフガニスタンは混迷を深めた。ソ連に抵抗したイスラム聖戦士のムジャヒディンの主導権争いで内戦状態に突入した。1994年にイスラム神学校のマドラサの学生らがタリバンを結成して、政権を樹立した。2001年のアメリカ同時テロを契機としたアフガン戦争が勃発した。2002年6月にはボン合意に基づき、暫定政権議長を大統領とする移行政権が成立した。2014年末に国連治安部隊(ISAF)からアフガニスタン治安部隊に治安権限が委譲され,2015年からアフガニスタン政府が治安に責任を負った。ロシアは反タリバンから一転して、2015年頃からイスラム教スンニ派過激組織であるイスラム国(IS)の抑止にタリバンを支援している。
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