関東大震災に被災した民衆が流言飛語に洗脳されて集団で朝鮮人に対する大量虐殺をした。両手が後ろで縛られた膨大な朝鮮人の水死体が東京の本所の隅田川畔に引き上げられた。
1923年9月1日に東京から南関東の地域が、関東大震災に襲われた。関東南部の低気圧により激しい風が吹きまくった午後12時2分に、地鳴りとともにマグニチュード7.9の地震が勃発した。東京は、天災の弱点から大惨事となった。火も消さずに家の外に飛び出して、家は倒壊して火災が市民を襲った。東京は3日間にわたり、火流となった猛火に包まれた。突風による猛火により、膨大な被災者が焼死した。猛火に追われた東京難民は、約90万人以上も各広場に殺到した。南関東の被災者は約340万8998人、死者は約9万1344人、行方不明は約1万3275人以上に達した。政府は、大震災の緊急対策として、警察だけでなく軍隊も出動させた。民衆の暴動によ対する治安維持を強固にするために、9月2日に戒厳令を発した。避難した被災者は、すべて失い、寝床もない疲労と食料もない空腹、極度の精神錯乱に陥った。
「不逞朝鮮人来襲」の流言が、翌日9月2日午前中から急速に拡散した。次第に朝鮮人による放火や暴動の来襲など身に迫る流言に変質した。朝鮮人に対する流言やデマを精神錯乱した民衆が洗脳されて、各地で在日朝鮮人に対する弾圧から虐待さらに虐殺に至った。9月4日には、マスコミが数百の不逞鮮人が隊伍を組みて蜂起暴戻と民衆を煽った。集団弾圧する自警団が各地で約3,700も結成されて在日朝鮮人を迫害した。自警団は、日本刀、竹槍、鎌などで武装して、朝鮮人に残酷で悲惨な大量虐待と大量虐殺をした。警察や軍隊が、連行して約2万人以上もの朝鮮人から約6,000人以上も秘密裏に虐殺した。
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