第2世界大戦の終戦により、朝鮮半島で勃発した政治的暴力により、朝鮮半島は日本軍からの解放後に最初の2人の死者が2人出た。アメリカ軍が上陸した9月8日に、国家警察により、労働組合指導と平和維持活動家が殺害された。朝鮮占領はアメリカ・ソ連ともに準備が足りず、両軍が朝鮮を把握できず、一貫した占領政策がなかった。特に主要都市であるソウルで大きな政治混乱を生む一因となった。
韓国では、朝鮮が日本の植民地統治から自主独立を取り戻した出来事を光復と呼称され、光復を記念する毎年8月15日を光復節の祝日に定めた。1945年9月9日からアメリカ軍が朝鮮半島に侵攻して、先に入っていたソ連軍とともに朝鮮半島における日本軍の武装解除にあたった。先にアメリカ軍とソ連軍の間で締結されていた協定に即した。ソウル(京城府)と仁川を既に占領していたソ連軍は38度線の北へ後退した。朝鮮半島の38度線より南側はアメリカ軍が占領した。
ソ連が支持した朝鮮人民共和国が1945年9月6日に樹立されるも、アメリカは朝鮮民主党を支持して、各地の朝鮮委員会を約1年を要して解体した。朝鮮半島南側の大韓民国は、1948年に建国宣言をした。 アメリカ保護下で旧植民地体制と国家警察の維持に対して、1948年から朝鮮戦争が勃発した1950年まで武装ゲリラが闘争した。
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