カンボジアのポル・ポト政権が崩壊して逃亡した。まもなくベトナムの影響下のヘン・サムリン政権によるカンボジア人民共和国が成立した。経済政策の転換により、プノンペンからタイ国境のバッタンバンに列車やトラックで群衆が大挙した。その喧騒にて、カンボジア人の母親が、列車から転落死した。息子が母親の死体の側で悲嘆して呆然となった。
ベトナム国内に避難していたカンボジア人により結成されたカンプチア救国民族統一戦線がベトナム軍と、1978年12月25日にカンボジア国内に侵攻した。クメール・ルージュのポル・ポト政権は、国民の粛清と弾圧の影響による混乱により、わずか2週間で崩壊した。カンボジアはベトナム軍によって、大量虐殺を招いたポル・ポト政権からやっと解放された。1979年1月7日に、ベトナム軍がプノンペンに入り、ベトナムの影響を受けたヘン・サムリン政権によるカンプチア人民共和国が樹立された。ベトナムはカンボジアを長期間にわたり影響下に置いた。クメール・ルージュ軍およびポル・ポト政権はタイの国境付近のジャングルへ逃れて潜伏した。
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