グアテマラ内戦が、グアテマラ軍内の親米派と反米派及び左派勢力などの間で1960年から1996年まで内乱が継続した。 1990年3月4日にグアテマラの首都であるグアテマラ・シティにて、数千人もの子供たちが身寄りもなく路頭の困窮生活をしていた。仲間と街角に座っていた13歳の男児に、突然に軍警察が襲いかかった。13歳の男児だけ捕まり、道路に押し付け、蹴り上げて虐待を受けて絶叫して意識を失って虐殺された。2本の指、肋骨骨折、頭皮切傷など全身の虐待を受けていた。
アメリカから支援をうけてホンジェラスから軍事侵攻した武装勢力から、1958年に成立した軍事政権の親米的政策に対して、不満を抱いた軍若手将校が1960年に反乱を起こした。同反乱は鎮圧されたものの,その指導者グループが山中に潜伏して,ゲリラの源泉となり,以後36年間にわたり内戦が継続した。1965年改正憲法により,1966年の大統領選挙で民主的に政権が交替したが、しかしながらテロ活動が活発となった。1970年以降は,軍人大統領が政権を掌握した。1986年に20年振りの民政移管を達成して、1987年に中米和平合意に署名した。1991年1月,軍部の影響を受けた文民政権となるも、1993年6月に自主クーデターを行って、国内外の強い反発を招き、崩壊して国外に亡命した。1993年6月に人権擁護官が大統領に就任して,政府・ゲリラ間の和平交渉,貧困対策,人権改善等を積極的に推進した。1996年12月29日に政府・ゲリラ間で最終和平合意が成立し,中米最後の内戦が終了して、和平プロセスが開始された。1997年5月に国連軍事監視団の下,ゲリラの武装解除が完了した。1997年12月に軍警察が解体されて,国家文民警察に移行した。
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