カンボジアのポル・ポト政権下で死亡した人は約200万人に上り、虐殺された膨大な死体は急ごしらえの穴に埋められた。殺伐とした荒野には、多数の土穴が幾つも並び、その中に数十体の朽ち果てた白骨化した遺体が、無造作に放置されていた。大量虐殺の刑場の多くは切り開かれた土地に設置されて、犠牲者の死体が遺棄された場所は国内に約2万か所と推定された。
ベトナム戦争によりアメリカ軍が、1970年に北ベトナムへの浸透ルートであるカンボジアを爆撃して、国土の多くが荒廃して国内が混乱に陥った。混乱に乗じて猛烈な農村ナショナリズムを伴う共産主義であるクメール・ルージュが台頭した。階級や格差の全くない原始時代の状態に戻す原始共産主義を浸透させた。1975年にクメール・ルージュ政権が樹立されると、都市住民を敵対して、数百万人もの市民らを農村部に強制連行した。クメール・ルージュは食糧増産を図る為、大都市の市民から知識階級などから一切の財産・身分を剥奪し、農村に強制移住させて、農業に従事させた。学校、病院および工場も閉鎖し、銀行業務から貨を廃止し、宗教を禁止し、一切の私財を没収した。酷い強制労働で虐待して、飢餓や過労死など大量の餓死者を出した。
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