東京大空襲にて1945年3月10日午前0時8分からB-29が東京都江東区に無差別の大空襲して、路上の至る所に黒化した焼死体が散乱した。3月10日早朝から死体処理する各隊により、焼死体を集積してメモ書きして片付けた。
太平洋戦争の初期の1942年4月18日からアメリカ空軍による日本の本土への無差別の空襲が始発した。1941年12月8日の真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発して、半年以内に空母ホーネットからB-25爆撃機が、東京、横浜。横須賀、名古屋、神戸の6都市を空爆して、約45人が死亡して、約162人が爆傷となった。超高空速のB-29大型爆撃機が、マリアナ群島の空軍基地から1944年6月16日に北九州を空襲した。その後に帝都の東京には、空襲が約130回にも及んで、死者は総計約115,000人にも達した。約6割は全焼した。特に1945年3月10日のB-29約321機による東京都江東区への東京大空襲により約100,000人もの死者を出した。B-29から約1,700トンと約1,000,000発もの無差別の焼夷弾により、約30分間の猛火で周囲全域を燃え尽くした。広島原子爆弾の次ぐ犠牲者を伴った。北風による火事風となり、密集した木造の家屋敷と人命が焼き尽くされた。焼夷弾で直爆撃で死亡、吹き出す油脂などで焼死、煙の一酸化炭素中毒死、川や運河で溺死などの無差別の大量虐殺となった。
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