Wednesday, August 22, 2018

A mother and a baby on the ninth day after birth were shot to be dead when refugeing from Comilla to the Bangladesh border as a refugee.

母親は1971年に、難民としてコミラからバングラディッシュ国境をわたる時に射殺された。彼女の生後9日目の赤ん坊も死亡した。赤ん坊の死体は祖父が運んで横たった。コミラはバグラディッシュ東部のチッタゴン州の都市で、ダッカから約80kmに位置した。
 英領インドは1947年に独立を達成したが、イスラム教地域はインドを挟んで東西パキスタンに分離独立した。経済や文化の面では違いが大きく、国土はインドにて1000km以上も隔て、様々な摩擦を起こした。政治は西側に偏った政策が実施され、1970年12月の選挙で人口に勝る東パキスタンのアワミ連盟が勝利すると、西パキスタンは1971年3月に軍事介入を行っった。東パキスタンは独立を求めて内乱になり、バングラデシュ独立戦争で、インドが東側パキスタンの独立を支持した。第三次印パ戦争がインドの勝利で終わって、1971年にバングラデシュが独立した。しかし、インドからの独立以前から、イスラム教を旗印とする東パキスタンとチッタゴン丘陵地帯の先住民族との折り合いは緊張状態が続き、バングラデシュが1971年に独立すると悪化した。先住民族は1972年にチッタゴン丘陵人民連帯連合協会(PCJSS) を作った。1972年からバングラデシュ軍とPCJSSとが戦闘状態に入り、内戦や洪水による経済は疲弊により、1975年にバングラデッシュは軍事クーデターが起きて軍事政権となり、さにら戦闘は20年間も続いた。



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